祖父の訃報とあの日の記録

 

少し気持ちの整理がしたい。人の死とお葬式の流れを備忘録的に書いていくので、内容は暗いと思う。

 

先日、祖父が亡くなった。
祖父は私が幼い頃から何度か病気をしており、一緒に元気に遊んだ記憶は殆どない。思い出すのはトラクターを運転している姿と、まだ歩けていた頃に杖をついて散歩に行っていた姿。思い返すとあまり話していなかった。病気で祖父が言葉を発しにくくなってから、会話をするのが苦手だった。
介護をしていた両親から「最近食がより細くなった。覚悟はしておいてほしい」と言われたとき、「そうなんだ」とまるで他人みたいな気持ちになった。関わりと思い出が少ないとこんな気持ちにしかならないのかと思った。

祖父の訃報は母からの早朝電話で知った。亡くなったのは夜中だったそうだ。その日のうちに実家に戻って明日の通夜の準備を進めなければならない、お葬式の日程は、そんな話もした。

電話を切って情報を整理していく中で、自然と涙が溢れてきた。祖父との思い出なんて殆ど無いと思っていたのに、帰るたびに見ていた笑顔とか、ベッドの上で握手をしたこととか、頭の中の引き出しが次々と開いていくようだった。どこに行ったとか何をしたとか、大きなイベントはなくても、日常的な記憶はちゃんと残っていたみたいだった。
とても一人ではいられない状況だったから、姉と一緒に実家に帰った。祖父の死に顔は笑っているように穏やかだった。布団から起き上がって動き出してもおかしくないくらいだった。帰る前にわんわん泣いたのに、死の実感がわかない。服装の確認やご焼香の仕方を調べても、実感はわかない。まだみんな喪服じゃなかったからだろうか。

お通夜の前に納棺をした気がする。もうずっと泣いていたし、ことあるたびに読経した気がするので、同じような記憶ばかりであやふやになっている。
横になっている祖父に死装束を着せて、祖父が旅立つ準備をした。ちょうちょ結びじゃなくて縦結びになるように衣服を結んでいた。袖を通すために持ち上げた祖父の身体は本当に冷たかった。痩せて細くなったけど確かに暖かかった右手がひんやりとして、思い出が欲しくて一方的に握手をした。もう悲しいやら何やらわけがわからなくなった。「介護は楽しかった」と話す母が「思い出すね、こうやって介護してたよね」と父に涙声で話しかけたとき、もうこれ以上私の涙腺を壊してくれるなと思った。

翌朝、出棺。祖父の周りにお花を添えて行った。祖母が泣くのでやはり耐えられなかった。
火葬場へ向かう道は私が運転した。姉が遺影を、母が戒名を持って同乗。人生で遺影を持った人間を隣に乗せる日が来るとは思っていなかった。朝早く凍結が心配される時間、祖父の遺影が揺れるのも嫌で普段以上に安全運転をした。

火葬場についてからはあっという間だった。最後に顔を見て挨拶をして、次に会ったのは骨になった祖父だった。拾骨の際に「壺に入れなきゃいけない骨が入らないときは上から骨を押さえつけることもある」と事前に情報を得ていたから、式場の人がこちらの同意を得た上で骨をバキバキと沈めたのを見てもそこまで痛くなかった。最後に喉仏がおさめられて終了。一連の流れで泣かなかったのは多分ここくらいだ。
火葬場では焼かれるのを待つ部屋の入り口にネームプレートがあった。他の部屋にも苗字がかかっていた。同じタイミングで別の人も亡くなっている。どうして人間は死んでしまうのだろうかと思った。

告別式をする場所へと移動し、昼食を取った。人数制限のあった火葬場と違って多くの人がいた。身内は焼香に来た人への挨拶をしていて私は一人だった。知らない人と話すのは得意じゃないし、消耗していたから放っておいてくれというオーラを全開にしてしまった。あまりにも苦痛な時間だった。ついでに靴のかかとが取れて本当に嫌な気持ちしかなかった。もうアラサーなのに全然子供みたいな自分に嫌気がした。


告別式から法要までも当たり前に泣いた。もう何度目かになるご焼香と読経をして、祖父のことを想った。お経は泣いていて呼吸がめちゃくちゃだから全然上手に読めなかった。
合掌して難しい言葉を聞いている最中、祖父の戒名が読み上げられて、名前が読まれたことだけはわかった。祖父はいい名前をつけてもらっていた。名前が変わったことで「祖父はもうあちらの世界の人になった」という認識が急に脳にやってきて、声を殺して泣くのに必死だった。
不思議なことで、思い出そうとしていないのに勝手に思い出がどんどん出た。走馬灯じゃないけど、本当に、どこに眠っていたの?ってくらいの思い出がどんどんどんどん出てきた。縁側に座って山を見ている祖父も、寒いからって着ぶくれしてる祖父も、思い出すのはやっぱり日常風景なのだけど、もう全部思い出になってしまったんだと思った。
それまで気丈だった喪主の父が、最後の挨拶では全然声が出ていなかった。それがまた涙の後押しをした。実父が亡くなって悲しみに向き合う前にあらゆる手続きをしてお通夜と告別式のことも考えて、本当に大変だっただろう。今まで父親の泣顔なんて見たことがなかった。もうだめだった。何度泣いたらいいんだよというくらい、ずっと泣いていた。終わって自分の顔を見たら、マスクがぐしゃぐしゃだった。普段鼻水を垂らそうが感動して泣こうが、表面まで染みるほど泣いたことはなかった。それだけ泣いた。もう涙なんて出ないんじゃないかと思ったが、気持ちを整理するためにこの文を打っている今も泣いている。

思い出なんてそんなにないし、なんて思っていた祖父が亡くなってこの有様なので、両親や姉が亡くなったときが本当に恐ろしい。ずっと生きてほしい、私が死ぬまでずっと元気でいてほしい。もう誰も死なないでほしい。実家に帰ったら笑顔で迎えてほしい。こんな思い二度と経験したくない。そんなことばかり考える日々だ。
祖父の死は本当に悲しいことで、今も勝手に涙が出てくるけど、大事な人をもっと大切にしたいという気持ちも教えてくれた。家族のことが大好きだと認識するきっかけにもなった。
そこにいるのが当たり前の人なんていない。私も周りの人もそう。大事にしたい。大事にする。
祖父の遺影は笑顔だった。実家に戻れば笑顔の祖父に会うことができるのは救いだ。出来ればまた手を握りたいけど、もう出来ないから、笑顔で満足することにする。
おじいちゃん、ありがとう。